Bruckner Symphony No.9(ピアノアレンジ)
がもん屋 昔ある日、私が「見合い」をした時のこと。「ぶるっく……なあ?そういう作曲家は初めて聞きました」また別のある日、とあるオフ会にて。
「チャイコフスキーの第五交響曲が好きなんですよ!え?ブルックナー?いえいえいえ!グスタフ・マーラーとかアントン・ブルックナーとかは長ったらしくて、聞けないです!」「ブルックナーの交響曲には、英雄も小市民もいない。
(中略)ブルックナーの音楽を輪切りにすれば、赤い血のかわりに岩や氷がごろごろと転がり出る」「ブルックナーの作品について、ブラームスはこう予言した。
『少なくともそれは今までのところ、作品というより一種のまやかしであり、一、二年のうちには忘れ去られてしまうだろう』と。
だが、ブルックナーの作品は消え失せなかった」「もし『第九番』の全四楽章が完成されていれば(中略)大交響曲となっていたであろう。
(中略)終楽章はついに未完に終わった」(田代櫂『アントン・ブルックナー魂の山嶺』)(以後、前掲書より抜粋)「第一楽章は、巨大かつ複雑な構造を持っている。
(中略)私たちは寄る辺ない魂のように、眼も眩む大岸壁から風通しのよい尾根へ、牙を剥く氷河から静寂な谷間へと漂い続ける」(約29分)「第二楽章は(中略)大胆な和声と叩きつけるようなリズムに彩られている。
(中略)それは修羅ブルックナーの咆哮であり、途方もない破壊エネルギーの噴出であり、星雲をも巻き込む『死の舞踏』である」(約11分)「第三楽章アダージョの構造は(中略)ロンド形式とも、ソナタ形式の三部構成とも解釈することができる。
(中略)ブルックナー最後の音楽は夢幻のうちに解体され、空に溶けいるように鳴り止む」(約18分)