思い出アルバム

トラヴュランス
■■プロローグ■■僕の父さんは「桐沢商工」という学校を卒業している。
僕が今住んでいる街から程近いところにあるのも手伝って、おそらくこの街で桐沢商工を知らない人は居ないだろう。
それに、父さんが学生だった頃の桐沢商工はすっごいエリート校で、お金も沢山かかったんだって。
だから当時の父さんたちは、いわゆる「夜間学生」として仕事をしながら学校に通っていたんだ。
でも父さんは、苦労して通った筈の学生時代の頃の話をいつも楽しそうに僕に話してくれた……それから幾年、僕が生まれる頃には桐沢商工もだいぶん庶民的な学校になった。
時勢がら進学校へ行く学生が増えたこともあって、商・工の学校はあまり人気がないんだそうだ。
でも、僕は子供ながらに決めていたんだ。
「父さんと同じ学校へ通おう…」って。
そう、僕の入学を待たずして、病気で亡くなった父の為にも正直、進学校でない桐沢商工は決してレベルの高い学校ではない。
「他に行ける学校が無かったから」とか「卒業後すぐ働かなきゃなんねーし」と、言ったように人それぞれだ。
校舎も昔ながらの木造で、いまだに冬は灯油のストーブを使っている……隙間風の入る教室に、みんなは不満連発だ。
しかし授業は「社会に出て役立つように」といった実践的なものだし、なにより詰め込むような勉強量を施す他校とは明らかに違い、前向きな方針に僕は大変満足していた。
そんなある日、僕が3年生になったばかりの頃だ。
現在の校舎を取り壊し、鉄筋コンクリートの校舎に建て直すと言う話が舞い込んできた。
なにより昭和初期からある校舎だ、老朽化は否めない……しかし来春の入学生の為に完成を目指すとしたら、この校舎の取り壊しはもう目前ではないか!何より僕達の卒業式はどうなるんだ!?きっと僕は蒼白な顔をしていたに違いないだろう……そして気が付いたら職員室に駆け込み、担任の先生に食って掛かっていた。
……どうやら新校舎は現在グラウンドのある部分に建て、現校舎は僕達の卒業式まで残るそうだ。
学校側の粋な配慮に正直胸をなでおろした僕だったが、この校舎が無くなってしまうことには代わりが無い……なんだかやるせない気持ちで、その日は1日を過ごしてしまった……その夕方、ちょうど授業を受け持っていた担任の先生は僕達にこう言った。
「知っていると思うが、この校舎は来春取り壊す事が決まった。
お前達がこの校舎の最後の学生になるわけだ。
そこでどうだろう、この校舎についてアルバムを作らないか?もちろん有志ということになるが、写真を撮ったり、文章で綴ったりするんだ」しかし、そんな先生の提案にクラスの皆は概ね無関心だった。
確かに卒業を控えた3年生と言う時期だ、いかに進学校でないとはいえ正直厳しいだろう。
そもそも「ボロ校舎」と呼ばれる木造校舎に不満のある学生は多いのだ……しかし、僕は手を挙げていた。
あまりクラスでは目立たない僕をクラスの皆が好奇心の目で見ているのが判った。
『物好きな奴』、そう思われているのだろうが一向に構わない。
この木造校舎での生活を、何かに刻み込んでおきたかったんだ!……しかし、そんな風に手を挙げていたのは僕だけではなかった。
クラスの委員長である里浜さん、そしてソフトボール部のキャプテンをやっているという三崎さんの2人だ……正直今までほとんど接点の無かった女子二人に戸惑う僕だったが、先生はにっこりと微笑むと「後は任せた」と教室を出て行った。
そう、この日から僕達のアルバム作りは始まったんだ。
そして、それは僕と彼女との出会いでもあったんだ……